「どうか私を忘れないで。そして助けて。」

これは私がガーナで過ごした3週間で、忘れられない言葉です。

幼い頃からマザーテレサやナイチンゲールに憧れて看護師になり、「世界がもし100人の村だったら」を読み途上国で看護師として貢献したいと思いました。

有休を使い、公衆衛生と看護のプログラムに申し込みました。

アフリカの中でもガーナを選んだ理由は、英語が公用語であり、決して得意ではないけれど全く知らない言葉に比べれば、現地の人と通訳なしでコミュニケーションが取れるかな?と思ったことと、日本人にはお馴染み、チョコレートが大好きだからです!

ガーナの人々はとてもフレンドリーで、どこに行っても笑顔で手を振り、「オブロニ!」(肌が白い人の呼び名)と声をかけてくれます。

しかしその裏には、助けを必要としている多くの人々と、彼らに医療を届けようと奮闘する人々の姿がありました。

アウトリーチ活動の日々

アウトリーチとは、医療格差が激しい地域で、医療の届かない人や地域に必要な物資や人を届ける活動のことです。

私は一つの病院を活動先としながら、母子健診の手伝いや患者のバイタルサインチェック、薬の投与、手洗いの啓発などを行い、決まった曜日にはアウトリーチに参加し、学校、孤児院、マーケット、ハンセン病キャンプに行きました。

山奥の学校では子供たちがマラリアに感染していないかどうかの検査や傷の処置を行いました。

80人ほどの子供たちがいましたが、20人以上がマラリア陽性でした。

また、日本のように保健室があるわけでないので、小さな傷を放置したが故に、膿んでハエがたかっている傷を多くの子が持っていました。

放っておけば消えてしまうかもしれない小さな笑顔がたくさんあることに驚きました。

それは子どもだけではありません。

ハンセン病患者のコミュニティでの葛藤

活動最終日、首都アクラから3時間かけてハンセン病患者が暮らすコミュニティを訪れました。

病気の後遺症により手足が使えず、働くことができないため、食べ物、飲み水、他全てを寄付に頼っていますが、彼らが与えられるのはとても十分とは言えない暮らしです。

また、継続的に処置が必要な大きな傷を抱える人が多くいました。

足をヘビに咬まれたことがきっかけで、切断せざるを得ない状態にまで悪化しているものの、その手術を受けるお金がないという人も傷の処置を受けに来ていました。

日頃大学病院で働いている私は「このままだと彼は…日本だったら救えるのに…」と考えずにはいられませんでした。

子どもや妊産婦を含めた死亡率は先進国に比べ高いものの、人々の努力や国の発展のおかげで急速に減少しています。

しかし、日本とはまるで違う環境、病院であっても停電や断水はよくあることで、医療資源や医療者の数、施設、お金、教育、すべてが足りない、まさに"発展途上"の状態です。

出発前から、到着後もずっと、ここで私になにができるんだろうと日々考えていました。

そんな私に答えをくれたのはハンセン病キャンプで出会った1人の男性の言葉でした。

活動を終えた私たちが帰る際、彼は笑顔でお礼を伝えてくれました。

そして私の手を握り、こう言いました。

「お願いです、どうか国に帰っても私のことを忘れないで。そして助けて。」

その言葉と彼のまっすぐな、悲しそうな瞳に私は胸が締め付けられ、溢れそうになる涙をこらえて「はい、約束します。」と伝えました。

ガーナでの3週間で分かった現実

3週間で分かったことは、私たちは世界を変えるような大きなことはできないということです。

しかし、限られた資源の中で精一杯のことをすることで救われる命がありました。

私は彼の言葉を忘れず、自分が見てきたこと感じたことを少しでも多くの人に伝え、できる限りの支援をしていきたいと思います。

これから参加する方へ

この体験談が、参加を迷っている方の背中を押せたらいいなと思って書きました。

最後に、2月3月はガーナで最も暑い時期です!

覚悟して、楽しんできてください!(笑)

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ガーナで公衆衛生・看護 後藤祐樹子

この体験談は、主観に基づいて綴られています。

その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。

ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。