憧れを現実へ

私が看護師、そして助産師になったのは、高校生の時にフィリピンで無償で看護活動を行っている助産師さんのドキュメンタリーを見て感動し、彼女に憧れたのがきっかけでした。

私も彼女のようにアジアやアフリカや南米における看護活動に携わりたいと思っていたところ、プロジェクトアブロードを知りました。

助産師プロとして参加できること、そして、滞在できる国・期間を選べる点に魅力を感じ、参加を決めました。

私は英語力に自信がなかったため、渡航前にフィリピンでの語学留学を経てからボランティアに参加しました。

タンザニアでの活動の毎日

私が助産師として活動した病院は、タンザニアのアルーシャにあるマタニティセンターで、私は主にLAVOR(分娩)セクションで活動しました。

活動としては掃除から片付け、現地の助産師さんのお手伝いなどをしました。

現地の医師や看護師さんがとても親切で、病院のことからスワヒリ語まで、多くのことを教えてくれました。

他にも、私が活動したマタニティセンターには多くのセクションがあり、OPD(医師の診察)、CTC(HIV患者のフォローアップ)、UNDER5(5歳以下の小児の予防接種や体重測定など)、ANTINENTAL(妊婦健診)、LABOLATORY、FAMILY PLANNING、POSTINENTAL(産後健診)のセクションで活動を行うことができました。

滞在中には、病院での活動の他に、毎週木曜日にアウトリーチとして他の病院や孤児院を訪れました。

また、他の国から訪れたボランティアと交流する機会が多く、それぞれの国の看護の教育体制や仕事内容などを知ることが出来ました。

たくさんの学びを得た経験

帰国して振り返ってみると、今回のボランティアを通して多くのものを学ぶことができたように思います。

私がタンザニアに来たのは、タンザニアでは妊産婦死亡率、乳児死亡率が高いと聞いたためでした。

私に何かできればと思いボランティアとして参加したのですが、ここでは少ないものの、物品・施設があり、教育された医療者がいました。

助産師さん達は、フィジカルアセスメントの能力に長けており、産後の会陰縫合も行っています。

助産師さん達から学ぶことが沢山あり、また少ない物品の中で医療処置を行っているため、自分自身が日本で行っていた処置は本当に必要だったのかと、恥ずかしながら改めてケアのエビデンスについて調べなおすことも多くありました。

改めて世界人口白書を確認してみると、妊産婦死亡率・乳児死亡率が高いのは紛争地域であるとのことでした。

紛争が起こると衣食住の充足が難しくなり、医療の提供、教育をうける場の提供ができません(タンザニアに来て本当に教育の大切さを実感しています。これは、家族計画や助産師教育、女性の権利、地域のキーパーソン、国を担うリーダーの育成のためにも不可欠です)。

そう考えてみると、日本で大きな災害が起こる可能性が0とは言えません。

今1人の日本人助産師としてそのような状況下になった際に、少ない物品の中で質の高いケアを提供できるスキル、重症患者にケアを提供できるスキルが、助産師として求められるのです。

タンザニア生活

生活面としてはホームステイ先のファミリーもとても親切で、街ですれ違う人々も挨拶をしてくれたりと、温かい人が多かったように思います。

また食事も芋や豆、お肉の他、ウガリ(穀物の粉を湯で練ったもの)などバラエティーに長けており、そしてなによりキリマンジャロコーヒーが格別でした。

お休みをもらってサファリやザンジバル、キリマンジャロ登山に挑戦する友達もいました。

また機会があれば、ホストファミリー、病院のスタッフに会いにタンザニアを訪れたいと思っています。

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タンザニアで助産 藤里南

この体験談は、主観に基づいて綴られています。

その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。

この体験談は孤児院での活動に言及していますが、現在プロジェクトアブロードは地域型のチャイルドケアに焦点をあてた活動に取り組んでいます。

ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。