あれから4ヶ月
タンザニアから帰ってきて4ヶ月がたった。
2026年の3月にタンザニアのマサイスクール(日本でいう幼稚園、小学1年生向けの学校??)にボランティアとして、3週間滞在した。
今でもこの出来事は自分ごとに感じられず、自分の人生の中で、もっとも非日常的な体験だったと感じている。
まず、このプロジェクトアブロードのボランティアに参加した理由について述べたい。
参加の理由
私は、幼い頃からサッカーが好きであった。
小学1年生の時に初め、中学から本格的にサッカー一本に絞り、大学に入った今でも続けている。
小学生の頃からサッカーが大好きであったものの、親の意向により空手をメインに習っていた。
しかしながら、自分のサッカーへの情熱は非常に強く、親のパソコンやテレビでいつもBSチャンネルの海外のサッカーの録画放送ややべっちFC、ニュース番組のサッカーコーナーを見ていた。
そんなわけで、サッカーについてのテレビ番組をたくさん見ており、その中で、日本代表戦の前やワールドカップの大会期間中のサッカーの対戦国や参加国の特集なども興味深く、見ており、その中でアフリカの国々(特にセネガルやナイジェリア、コートジボワールといった競合国)の文化や貧困といったものに興味を持つようになった。
このアフリカへの関心は中高校生になってからも抱え続けており、大学では開発支援や国際政治について学びたいと思うようになっていた。
また、中村哲というその人道支援の道で活躍された方の母校であり、英語教育、留学支援を強みとし、比較的新しく、学際的に額物を修められる、九州大学共創学部に2025年の4月に入学した。
入学後は、交換留学などでのアフリカへの現地での学びの機会を探し続け、先生の紹介でプロジェクトアブロードが短期間での、途上国でのボランティア活動の機会を提供していると知り、給付型の奨学金に申し込み、資金を集め、参加を決意した。
プロジェクトアブロードを選んだ理由
中でも、プロジェクトアブロードを選んだ理由として、教育現場でのボランティアが提供されていたことが挙げられる。
自分は大学で、教育による持続可能な人材開発について研究しようと考えていたため、このプログラムは自分にとってこれ以上ないものであると感じた。
取り組んだ活動
次に現地での活動についてであるが、自分はタンザニアのアルーシャというマサイ族が多く生活し、中心部はタンザニアでもトップレベルに発達した都市である場所に滞在した。
簡潔にまとめると平日は、朝から学校に行き、そこで授業の手伝い(メインティチャーがおり、クラスではその先生と同じように授業の進行をしたり、生徒の板書の手直しをしたり)をし、休み時間は他の先生や職員の方と話すか子供たちと一緒に遊び、お昼の時間には給食の配膳、片付けを手伝い、昼食後は子供達と遊び、皆が下校した後は、次に日の授業準備(絵を描いたり、何をするか打ち合わせをしたり)をする。
これが大体、9時半から14時半くらいまでである。
通学には集合場所まで、ダラダラという相乗り車(バス?)のようなもので行き、そこからは、ビルダーさん(Thomas)の車で行く。
だいたい片道1時間半くらいだ。
私はだいたいいつも爆睡していた。
なぜだかわからないがとてもねむくなるのである。
休日の過ごし方
休日は予定はなにもないから自由だ。
ルームメイトや他のボランティアの人はサファリによくいっていたが、自分は一人であったため、一人でツアーに申し込むと金額が跳ね上がり、(そもそも相場5万円くらいからでそんな金銭的余裕がなかったのだが)他のボランティアも自分のいる期間はたまたま少ない(修学旅行でアイルランドから高校生が来ていたものの、その子たちは学校のプログラムだから、、、)かったので、自分はコーヒー農園に行ったり、動物園?(スネークパーク)に行ったり、博物館に行ったりしていた。
サファリ以外にもすることはあるものの、一度は自分で予約しておいて行けばよかったと後悔している。
最大の学び
最後に、プログラムで学んだことと今後についてであるが、このプログラムでは、主に2つのことを学んだ。
まず、アフリカでは日常が、日本人である自分にとっては非日常だということである。
原地の文化や風習は、日本と似ているものもあるものの、やはり、異なるものが圧倒的に多い。
そんな中で適応するために、言葉は非常に重要な役割を果たすと感じた。
自分は英語がある程度話せるとは思っているものの、ネイティブレベルではないし、スワヒリ語は挨拶をちょっと勉強しただけであった。
確かに、タンザニアの人は多くが英語を話せるものの、やはりスワヒリ語で挨拶をすると圧倒的に反応がいい。
郷に入れば郷に従えではないが、原地の言語を話すことは、その文化をリスペクトし、適応し、調和する上で、最も重要な媒体であるのだ。
また、学問的なこととしては、インフラ整備の重要性を強く認識した。
原地の人との対話や、学校の先生からの話、また学校の地理的な問題点など、そのすべてに自然災害の脅威とインフラ未発達によるリスクが起因していたのである。
大事なのはこれから
これを踏まえ、教育による人材開発だけでなく、安心して暮らせるインフラ環境の重要性を認識し、今後はそのような視点からも、開発学について学んでいきたいと感じた。
最後に、今回のプロジェクトに参加する機会を設けてくださった、プロジェクトアブロードの皆様、マサイスクールの先生方、そして一諸に遊び学んだ生徒の子達、そして、金銭的支援をしてくださった財団様に、この場を借りて感謝申し上げます。
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。