ワクワクと不安でいっぱいだった

以前からユニセフなどの広告を⾒て、厳しい現状を強いられている⽼若男⼥の映像に⼼を打たれ、アフリカ⾃体に興味を持っていた。

それに加えて昨年の冬、ソマリアを取材しているジャーナリストの⽅から直接お話を伺ったのがきっかけで、⾃分の⽬でアフリカを⾒てみたいという思いが募り、アフリカに⾏こうと決意した。

また、同じ学校のお友達が昨年ガーナのプログラムに参加していたため、危ないのではと⼼配していた両親も安⼼して参加させてくれた。

そこまで⾼度な英語⼒が必要とされず、かつアフリカの未来を担う⼦供たちの教育に携われることからこのプログラムを選んだ。

渡航前は正直とても⼼配だった。海外経験はある⽅だが、まだ⾏ったことのない⼟地、ましてやアフリカに⾏くなんて、並⼤抵の不安ではなかった。

英語⼒もあまり⾃信がなく、イギリスに本社があるプロジェクトアブロードのプログラムであることから同じボランティアのメンバーとうまくコミュニケーションが取れるか本当に不安だった。

そして、⼼配性の祖⺟に伝えることが⼀番⼼が痛かった。 準備は進めていたものの、直前までどこか夢⾒⼼地なところがあった。

しかし、準備する段階では、⼦供たちとどんなおもちゃで遊ぼうかや、使わない⽂房具を⾃分の⼿で直接寄付できることなどを考えるとワクワクも⽌まらなかった。

夢から現実の舞台へ

私は3歳から6歳までのマサイ族の⼦供たちが通うマサイスクールという学校に⾏き、主に数字とアルファベットの読み書きや図形・果物の名前を教えた。

まず学校に着くと、掃除をしたり、事前に⽣徒のノートにアルファベットを書き込んで、授業がスムーズに進むように準備をした。

⼦供たちが集まると、歌やお祈りをする朝礼をし、年齢ごとの3クラスに分かれる。

その後は⾃分の担当するクラスで授業をする。

授業後は、列を作ってトイレに連れて⾏き、⼿洗い、ランチタイムとなる。ランチ、といっても⼦供たちには穀物を砕いて⽔や⽜乳と混ぜたドリンクが配られるだけ。私たちはその間、⼦供たちを膝に乗せたりしながら⾯倒を⾒る。

その後しばらく遊び、TV タイムになると、皆で⼀つの部屋に移動して英語や時にはスワヒリ語を交えた教育テレビを⾒る。その間に私たちはお昼ご飯を⾷べ、⼦供たちとは別れる。

午後のペインティングでは古くなった教室の中を掃除し、壁のペンキを塗り替えた。

タンザニア生活

私の滞在先は、ホストファミリーというより寮だった。

⾃分と同じチャイルドケアのメンバーだけでなく、別のチャイルドケアグループや医療グループと同じ滞在先だったので、全部で20⼈以上いた。

出⾝は様々だが、オランダ⼈が⼀番多かったので、ずっとオランダ語の曲が流れていた(笑)

その中で⽇本⼈は6⼈と、他の滞在先と⽐べても多かったように思う。

部屋は四⼈部屋か⼆⼈部屋で、私の部屋は⼆段ベッドが⼆個置かれているという感じだった。

ルームメイトはイギリス⼈、オランダ⼈、⽇本⼈と私だった。

寮にはコックさんがいるので、⾷事は⾷べやすく美味しかった。

朝8時に寮を出発する予定が、ポレポレ(タンザニアの国語であるスワヒリ語でゆっくり、という意味)なので、いつも8時過ぎに朝ごはんが出来上がり、出発は9時近くなってしまっていた。

メニューは、スープ、パン、パスタ、カレーなどにパイナップルとスイカがつ くような感じ。

洗濯は、私は折りたたみ式のたらいを持参していったので、部屋で洗剤を溶 かして、下着のみ洗っていた。

シャワーは時間帯によっては温かくならず、我慢して浴びたり、⽇によっては諦めることもしばしばあった。ルームメイトと相談して、なるべく早く⼊ることをお勧めする。

プログラムの後に、タンザニアに滞在している⾊々なプログラムのメンバーが集まりレストランに⾏ったりワークショップを⾏うことが多くあるが、その中でも屋外でのカラオケはとても楽しく、印象に残っている。

⽇本⼈メンバーは全部で9⼈もいたので、⽇本の曲を歌うと皆のってくれた。

他の国の曲もたくさん聞けて、いい思い出となった。

夜だったので皆ハイテンションでパーティー気分。ステージに上がり、知っている曲はマイクを持っていない⼈でも熱唱した。

スタッフも踊り出してとても盛り上がった!

それ以外にも、昨⽇のことのように思い出せることが本当に沢⼭あるが、全部は書ききれない!!

苦労、そしてすさまじい成長

⼀番大変だったのは英語を聞き取り、喋ること。

私のルームメイトにはイギリス⼈の⼦がいて、毎⽇聞き取るのに精⼀杯だった。

そのうちだんだんと⽿が慣れてきたが、それでも何回も聞き返してしまう。

さすがに失礼かなと思い、話の流れからなんとなくでリアクションしていた。それでも違った時は遠慮なく正してくれるので、とても助かった。

皆出⾝は様々だったので、中にはアジア系の⼦もいたが、インターナショナルに通っている⼦ばかりで気後れした。

でも皆優しいので、話しかけることさえできれば、拙い英語も摘み取って聴いてくれた。

また、私のチャイルドケアでは⼦供を抱き上げたり、座るように促したり、とかなり体⼒的にも精神的にも⾟いことがあった。

私は普段部活で鍛えられているので⾵邪や下痢になることはなかったが、途中で少し気分が悪くなり、ご飯をあまり⾷べることができず早く寝たことがあった。

それでも⼦供たちの笑顔を⾒ると毎⽇やる気が出て楽しかった。

今回の経験を通じて、適応⼒を⾝につけたことだと思う。⽇本での当たり前が、向こうでは全く通⽤しないということを実感した。

道は凸凹で、⾞は遊園地のアトラクションよりも揺れる。

洋服は、砂埃ですっかり茶⾊く汚れてしまう。

シャワーは冷たく少量なので、素早く⼊らなくてはならない。

⽔道⽔は、絶対に飲んではいけない。

時間にルーズなので、設定時間通りに動くことは稀。

蚊に刺されないように⽇本で⼀番強⼒なスプレーを持って⾏き、外に出る時は必ずスプレーする。

部屋を開ける時は持ち物に鍵をするなど、貴重品はきちんと管理する。

これだけ⽇本とは違うアフリカの⽣活に慣れてしまえば、どこの国でもやっていけるのではないかと思わせるくらいの適応⼒がついたと⾃負している(笑)

また、絶対に英語のスピーキング⼒が伸びる。

⽇本⼈メンバーとよく⽇本語で話してしまった点は後悔しているが、それでも必ずチームメンバーやスタッフとは英語で話していたので、プログラムが終わる頃にはスタッフの⽅と恋愛話をできるまでに⾄った(笑)

これからの目標

絶対にまたタンザニアに⾏って、⼦供たちと会いたいという気持ちになった。

2週間だったので、とにかく予定がぎっしりで、⽇本から持っていった宿題をする時間がほとんど無かった。

プログラムごとの活動後にスワヒリ語やマサイの⽂化を学べたり、クッキングクラスで伝統的なタンザニアのサモサという料理を作ったり、週末にはサファリやハイキングなどイベントがあったりと本当に盛りだくさんだった。

その中で、⽇本⼈の⼥⼦メンバー3⼈でプロジェクトアブロードのボスに交渉し、タンザニアに⽇本⼈と現地の⼈が協⼒して建てたというさくら⼥⼦中学校に赴き、特別授業として⽇本の学⽣との⼿紙の交換や、折り紙や着物の端切れを使った栞作りを⾏わせて頂いた。

予想以上に充実した2週間を過ごさせていただいたことに、感謝しかない。

近い⽬標としては、マサイスクールには制服や靴を持っている⼦供とそうでない⼦がいたので、全員分の制服と靴を揃えられるような寄付が出来ればいいなと思っている。

そのために、何かアクションを起こしたいなと思う。

また、今回の経験を⾊々な形で発信して、タンザニアの未来のために貢献したいと思う。

タンザニアでは⽇本の⽂化を紹介したので、今度は⽇本でタンザニアの⽂化を紹介するのも⾯⽩いなと思う。

これから参加する高校生へ

たくさん活動国について学んでから、⾃国代表の気概を持って渡航してほしいと思う。

私の場合では、相⼿にとって⽇本⼈の印象イコール私の印象なので、積極的にコミュニケーションを取ったり⽇本⽂化について知ってもらおうと努⼒したりした。

また、何事にもチャレンジしてほしいと思う。

未知の世界が待っているのだから、何もしないのではあまりに勿体ない。

活動先の全部を吸収してくるつもりで、できることは⼀つ残らずやってきてほしい。

⾟いこともあると思うが、我慢せずスタッフに相談しながら乗り切るのがいいと思う。

実際、私もスタッフによく相談していた。そうすることで英語⼒も伸びるし⼀⽯⼆⿃。

そして、何より楽しんで経験を積んできて欲しい。

⾃分らしく⽣活していれば、絶対に⾊々なものが⼿に⼊る。

⼀⽣の宝物になること間違いなし!

是⾮、学びを深めてきて欲しい。

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この体験談は、主観に基づいて綴られています。

その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。

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