あの時の物足りなさを転機に

ボランティアを体験したいという漠然とした思いがありましたが、大学入学当時はコロナ下であり、なかなか実際に行動には移せずにいました。

社会学を専攻し、特に移民や格差の問題に関心を持ったため、大学2年の秋学期から1年間オーストリアへの留学を経験しました。

非常に充実した1年間だった一方で、同時に何か物足りなさを感じた1年間でもありました。

その「物足りなさ」をうまく言語化することができないでいた私の転機が、大学4年から始まった卒業論文の執筆でした。

周りのゼミ生はスムーズに研究を進め、執筆が進んでいる一方で、私は研究したいテーマはあるものの、執筆がいわゆるスランプ状態に陥ってしまいました。

あせりだけが募っていき「気分転換がしたい」と思ったときに、留学生活で感じた「物足りなさ」を思い出し、その理由を見つけたいという気持ちが芽生えました。

加えて、大学生活で私がやり残したことはボランティア経験だと感じ、この際春休みを利用して今まで足を踏み出せずにいたボランティアの世界に挑戦してみようと思い立ったのが、私とプロジェクトアブロードとの出会いとなりました。

信頼性で選んだ

当初は「ボランティアなのだから安い値段で行きたい」という思いがあり、活動費が無料のボランティアに絞って探していました。

しかし、初めて発展途上国に行くということもあり、滞在先や活動内容に対しての不安が次第に大きくなっていきました。

そのため、「やっぱり信頼できるエージェントを通してボランティアを経験したい」と考えた結果、プロジェクトアブロードに決めました。

ウェブサイトを拝見したときは、様々な方の体験談や多くの写真が掲載されていて、非常に信用できるなと感じました。

インスタグラムも素敵な投稿が頻繁に更新されていたので、活動の具体的なイメージもしやすかったです。

質問に対する返信も迅速に対応してくださったおかげで、特に不安もなくスムーズに申し込むことができました。

活動開始日と活動期間を自由に設定できることも大きな決め手となりました。

教育ボランティアを選んで良かった

数あるプログラムがある中でチャイルドケアと教育で迷いましたが、最終的には、英会話教室でアルバイトをしていたという自分の経験を生かしてみようと考え、教育プログラムへの応募を決めました。

私の場合は、現地での経験を大学の卒業論文に活かすとことができたので、教育プログラムにして良かったです。

「現地の先生のアシスタントをするだけでなく、実際に教壇に立って先生として授業を持つことができる」とホームページに記載がある通り、担当教科や学年、活動も現地スタッフの方に相談して自由に決めることができました。

教職の講義を履修していたわけではないので、渡航前は実際に先生として活動できるか不安でしたが、チャレンジングな方が自分の成長に繋がるだろうと期待したことも、教育を選んだ理由の1つです。

真剣に学ぶ生徒に囲まれて

現地の活動内容としては主に、平日学校に行き、先生として英語を教えることになります。

教科の指定は特になく、私の場合はアルバイト先で小中高生に英語を教えていたため、現地でも英語を教えようと決めました。

担当クラスも自由に選べたので、中学生の英語クラスを担当させていただきました。

基本的な文法の授業を行ったり、英語が苦手な生徒に補講を行ったりしていました。

お昼休みは、テスト対策が必要な生徒を呼んで、英文法問題を教えていました。

時間が空いた時は、小学生クラスに行き、英語を読むことが苦手な生徒に対して発音の練習などを一緒に取り組みました。

1週目に比べ、2週目は生徒も私に慣れてくれたようで、一緒に放課後はバトミントンをして遊んでいました。

エアコンもなく、直射日光が照りつけるグラウンドで、生徒と汗だくになりながらやったバトミントンは、大切な思い出の1つです。

日本の学校を基準に考えると、フィリピンの学校はお世辞にも学ぶ環境が整っているということができません。

教室に窓はなく、エアコンもなく、そして机もありません。

しかし、まっすぐ私を見つめながら真剣に話を聞いてくれる生徒の目、そして汗で滲んだノートの字を見たとき、短い期間ではあるけれど、私は本気で彼らと向き合いたいと感じた瞬間でした。

2日目からアシスタントとしてではなく、一人で45分の授業にチャレンジしました。

授業準備は大変でしたが、授業後に生徒が楽しかった、面白かったと言ってくれた時は本当にうれしかったです。

また、お昼休みにテスト対策をやろうと何気なく生徒に声をかけたときに、本当に生徒が集まってくれて感動しました。

このように、やってみたいこと思ったことを自由に挑戦することができたので、本当にありがたかったです。

フィリピン生活

現地の生活は7時に朝食をとり、8時過ぎには学校へ向けて出発しました。

トライシクルという乗り物で、片道30分程かけて学校へ向かいました。

帰宅時は、同じホームステイ先だったイギリス人のボランティア参加者の方と仲良くなり、一緒に寄り道することもありました。

その場合も、現地スタッフの方がトライシクルの運転手に私たちの行き先を伝えてくださったので安心でした。

放課後は自由時間でしたので、基本的にはホームステイ先に戻り翌日の授業準備をすることが多かったです。

現地は気温が高く、日本の学校と異なり教室内にエアコンも完備されていないため、初めの一週間は体力的に厳しいと感じる日もありました。

しかし2週目に入ると気温にも慣れ、暑さも楽しめるようになりました。

夜ごはんは基本的にはホームステイ先でホストマザーと一日の出来事を話しながら楽しみました。

食事に関しては、ホストマザーが料理好きだったこともあり、毎回の食事は本当においしかったです。

イナサルという、フィリピンの伝統的な豚肉料理をいただける機会もあり、食事を通してフィリピンの文化に触れることができたのも貴重な経験だったと感じています。

仲良くなった中学校の先生方にカラオケに誘っていただき、交流を深めることもできました。

カラオケのお店までの道中にバナナやサトウキビのプランテーションを初めて見ました。

山一面が大きなプランテーションで、壮大な風景は本当に美しかったです。

ホームステイ先は水シャワーでしたが、気温が高いため、すごくリフレッシュすることができました。

部屋にエアコンはありませんでしたが、日本の夏と異なり自然豊かなボゴは、夜には気温も下がるので、扇風機だけでも十分涼しかったです。

本当の豊かさとは

活動を通して出会った方々は皆、エネルギッシュで明るく、そして優しい方々でした。

確かにフィリピンは発展途上国の1つであり、日本の生活とは異なることも多くありました。

しかし2週間のボランティアを通して、心が豊かである彼らから、多くのことを学びました。

仮に「豊かさの定義」を富を得ることだというするならば、活動先で出会った人々は多くの日本人に比べると豊かではないと考えることもできます。

しかし、彼らは私にない素敵な長所をたくさん持っていました。

急に日本から来た私を温かく、として笑顔で受け入れてくれた彼らは、心が豊かな人々でした。

そして、幸せとは心が豊かであることを意味するのだと私は考えました。

たった2週間のボランティア経験でしたが、フィリピンで私は少しだけ、心が豊かになりました。

そしてこれこそが、私がオーストリア留学で感じた「物足りなさ」だったのだと思います。

よく「日本のパスポートは強い」と言われています。

今までは何も疑問に思わなかったこの言葉の、「強い」という単語に疑問を抱くようになりました。

私は潜在的に、「強い」という言葉の持つイメージは、社会的権力や立場と結び付けていました。

しかし、このフィリピンでの2週間は、「強い」「弱い」は価値基準や軸によって変化するものなのだと教えてくれました。

帰国した現在とこれから

また近いうちにフィリピンを訪れようと考えています。

その日まで、生徒たちが喜ぶお土産探しをしている時間が幸せです。

フィリピンの人々の笑顔で私はたくさんのエネルギーをもらいました。

私もどんな時も笑顔が輝く人になれるように頑張りたいです。

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フィリピンで教育 野口諒子

この体験談は、主観に基づいて綴られています。

その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。

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