20年以上の時を超えて

医師として、アフリカの地で現地の人々とともに汗水流して働きたい ー 初めてそう思ったのは、かれこれ20年以上前のことです。

夢の第一歩である医師国家資格取得後、日本国内である程度経験を積まなければ海外でも決して通用しないだろうと思い、東京の総合病院で7年間勤務しました。

その間、産婦人科の専門医試験に合格し、まだ産婦人科医として一人前とは豪語出来ないものの、産科医療を行う上で最低限の知識や技術を身に付けた段階に到達したと判断し、国際医療救援への道を模索し始めました。

もともと災害時や途上国など、国内外で医療救援を行う医療機関に勤めていたこともあり、海外派遣に向けた心構えのための研修をいくつか受講していたので、派遣先での危機管理や行動規範などについて十分な準備が出来ていたのですが、海外派遣の機会がなかなか得られず、待機期間に勤務先を休職して短期間参加できるNGOを探していました。

プロジェクトアブロードとの出会い

ネット情報で多くのNGOがリストアップされる中、実際に自分の希望と目的が組織の理念とほぼ一致したのはプロジェクトアブロード一社のみでした。

もしプロジェクトアブロードがなかったら、今頃私はまだ次のステップを悩んでいたに違いありません。

参加までの流れを確認し、体験談をいくつか読み、具体的なイメージが湧いたところで決心し、参加表明を出すまで数日。

自分の中で渡航時期及び滞在期間を予め決めていたので、残るは活動先を選び、手続きを進めてもらうだけでした。

しかし、最終判断において、やはり参加費用が高い(基本的に滞在費や渡航費は全て参加者負担)という点で、失敗はしたくないという気持ちが強まりました。

プログラムはもちろん、「医師」という専門家として活動できる医療ボランティア。

滞在期間は12週間です。

ただし飽くまでも現地の医師が、インターンという立場で赴く私の責任者でした。

いざ、憧れの地に降り立った

私の活動場所は、タンザニア北部のメルー山の麓、アルーシャという町でした。

強い日差しの中キリマンジャロ空港に降り立つと、プロジェクトアブロードのスタッフが車で出迎えてくれて、まずは事務所で簡単なイントロダクションをし、その後にホストファミリーの家まで送迎されました。

プロジェクトアブロードが選ぶホストファミリーのほとんどが、ボランティアを何度も受け入れたことがあり、英語でのコミュニケーションもまず問題ありません。

食事や衛生面、安全面でも非常に気を遣っているような家族ばかりです。

到着時だけではなく、滞在期間中も、プロジェクトアブロードのサポート体制はしっかりしており、いつでも相談できる状態だったので、安心して活動に集中できました。

多国籍で多様な環境に身を置いて

アルーシャには、大体常に30名ほどのボランティアがそれぞれのプログラムや期間で活動しています。

大部分が欧米からの学生でしたが、私の滞在期間中に2週間ほど二人の日本人ボランティアと合流することがありました。

ボランティア同士の交流会、例えば食事会やイベント会(スポーツイベント、料理会、クリスマスパーティー等)も多く開催され、アフリカの地でホームシックになる若者たちも、すぐに仲間ができました。

自分から活動範囲を広げていった

基本的に、活動時間は朝9時から夕方4時までなどと指定されていますが、自由度は大きく、多くのボランティアは午前中のみ病院で活動したり、金曜から週末にかけてサファリやザンジバルに出かけたりしていました。

私は、月曜から金曜まで日中のほとんどを病院内で過ごしていましたが、週に一度のペースで夜間も夜勤者と共に活動しました。

活動内容としては、分娩介助、妊婦健診の手伝い、新生児予防接種、分娩室の清掃、物品補充などです。

毎朝必ず回診にも参加しました。

産科の専門医というだけで、積極的に診療に関わって欲しいということで、帝王切開術をも執刀することがありました。

日を重ね、仕事を体で理解し、効率よく動くことができるようになると、活動範囲は更に広がっていきました。

私が一緒に働いた病院のスタッフや医師たちは、皆勤勉で、また外部の人間を心から歓迎してくれる人ばかりでした。

私が活動の中でミスを犯して落ち込んでいる時も、「Nobody is perfect! Cheer up!」と大いに励ましてくれました。

現地の文化や医療を尊重し、特に年配の人に敬意を払うこと、タンザニア人と仲良くなるべく、積極的にスワヒリ語を使うこと、文句を言わずになんでも仕事を引き受けること - これらが、現地で信頼を得る秘訣ではなかったかと思います。

どれも当然のことですが、なかなか実践するのは難しいということも実感しました。

そうした日々の努力の末、数週間も経つとスタッフ達との距離が縮まるとともに、アフリカンな立ち振る舞いや考え方など教えてもらうことも増え、現地の人々に囲まれた中でより居心地良く過ごすことができました。

医療ボランティアでは、アルーシャ市内から出て、孤児院やマサイ族が暮らす村へ巡回診療(Medical Outreach)に出ることも2週間に1回ほどありました。

現地の医師が診察して、ボランティアが処方する薬を渡すだけですが、大人や子供のcommon disease(よくある病気)を学ぶ機会となりました。

不便さも、タンザニア生活のうち

タンザニアで生活する上で大変だったことは、毎日のように停電があったこと、分娩室の水道蛇口から水が出ないことが多かったこと、洗濯機や家電が基本的にないことでした。

停電になると、お湯が出ません。

携帯電話やパソコンの充電もできません。

しかし、停電が24時間以上続くことはなく、生活が出来なくなるほど困ることはありませんでした。

水が水道の蛇口から流れなくなった時も、どこからか水で満たされたバケツが登場して、体を洗うことができました。

マラリアを恐れて蚊対策を十二分に講じたつもりでしたが、夜勤帯で無防備になることもありました。

不便なことも多々ありましたが、結果的にはアルーシャ滞在期間中、幸い体調が崩れることはありませんでした。

食事が良かったのでしょうか?

原則一日3食分は、ホストファミリーが提供する約束になっています。

ほとんどは塩ベースの質素な味付けであり、米やジャガイモ、バナナといった主食に、炒め野菜やビーフ・チキンのシチューのような副菜が主な食事内容でした。

果物は、文句なしに美味しかったです。

日本の当たり前が通じない医療現場で

日本では専門医ですが、タンザニアにおいては「日本では当たり前の常識」通用しないことも少なくありません。

例えば、日本における妊婦健診では必ず初診で超音波検査をします。

タンザニアの妊婦健診では超音波検査が必須ではないため、分娩予定日が不確かであるが故に、予定日を大幅に過ぎて生まれてきたと思われる具合の悪い赤ちゃんの多さに驚きました。

妊娠分娩管理に関しては、日本とタンザニアの医療の相違点の多さに戸惑いました。

しかし、では日本と同じ環境をつくればいいのかというと、決してそうではありません。

停電が多い中で医療機器を増やしたことによるメリットはどれだけあるのか、超音波検査を必須にしたら、医師不足が叫ばれている中で、超音波機器を扱える医師をどう確保するのか、人件費は、機器購入費は…

短絡的に考えて、自国のやり方を導入するのは間違っているということに途中で私は気づきました。

また、日本では必要ではなくなった観察力。

全て器械がモニターして、異常があればアラームを鳴らしてくれます。

タンザニアでは、自動計算してくれる器械は一切ありません。

検査結果の標準値も暗記しておかなければならないし、薬の名前も用量も覚えていなくてはいけない。

赤ちゃんの具合が実際どれだけ悪いのか、酸素飽和濃度を調べられないので、呼吸回数や唸り声の有無、皮膚の色などを見て、判断しなければなりません。

そのような意味で、自分の本当の実力、知識不足を痛感しました。

そのような状況の中でも現地のスタッフは、知恵を絞って、日々努力を惜しまずに現況で最前を尽くしていました。

また、馴染みのない文化ではどうしても自分が良かれと思ってしたことが裏目に出ることもあります。

「昼ご飯は手が空いた人が順番にそそくさと食べて、分娩室に必ず誰かがいるようにする」という日本での暗黙の了解は、タンザニアでは全く通用せず、「ごはんはみんなで分け合って食べるもの。お腹を空かせている人がいてはいけない。一人で食べるのは周りの人に失礼」と教えられました。

このように自分の価値観が、相手を不快にさせている可能性があることを念頭に置くということも学びました。

人生の分岐点から前進へ

タンザニアに行くにあたり、日本を発つ前に予め、

「タンザニアの医療統計を調べ、現状を把握する」

「自分の実力を確認し、診療能力の限界を知る」

「婦人科手術を見学する」

など、到達目標を定めていました。

実際には人々との交流時間やアフリカンな時間の概念を考慮していなかったので、厳密には計画全てを達成することはできませんでしたが、医療資源が限られ、生活水準が日本と大きく異なる発展途上国で日常生活を送り、産科医療に携わることで、今後海外派遣された時に向けて心の準備だけでなく、体調管理や知識・技術の補完ができ、今後経験に裏付けされた行動をとることができるようになったと思います。

また、現地でお世話になった方々との御縁、スワヒリ語習得、タンザニアの文化との出会い、これらは全て、私の精神を更にひと回り成長させてくれました。

そして、今回そもそも海外滞在を身近に体験できたのは、プロジェクトアブロードの皆様のご協力ご支援あってこそ。

人生の分岐点に立っていた私ですが、今後の方向性を考えるためのヒントときっかけを与えていただきました。

この場をお借りして、この貴重な機会を与えて下さったプロジェクトアブロード日本支部およびアルーシャ支部の皆様に、心より感謝申し上げます。

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タンザニアで医療 西舘野阿さん

この体験談は、主観に基づいて綴られています。

その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。

この体験談は孤児院での活動に言及していますが、現在プロジェクトアブロードは地域型のチャイルドケアに焦点をあてた活動に取り組んでいます。

ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。