日本から出てみたかった

プロジェクトアブロードとの出会いはインターネットです。

高1のころから、様々なことに疑問や違和感を抱き、とにかく日本から出てみたかった私はトビタテ!留学Japanへの応募を決め、自分にあったプログラムがないか、思いついたワードをとにかく検索エンジンをかけていた時に見つけたのがプロジェクトアブロードでした。

ホームページにトビタテ応募に関する記載があり、安心してサポートが受けられそうだと感じたため、プロジェクトアブロードの活動先の中から国を選ぶことにしました。

フィジーが一番ワクワクした

活動国やプログラムを見ていた中でも私が一番ワクワクしたのがフィジーでした。

行った先のことが何も想像できなかったからです。

まず、フィジーってどこ?英語圏なの?というところから始まり、世界的に幸福度の高い国であるというところにたどり着きました。

日本から出たことのない私にとっては、家族や友達がいて、日常の生活があること、そもそも毎日学校に行けて、整った住みやすい環境にあることが幸せの大きな要素であるように感じていました。

なので、開発途上国であるフィジーが幸福度の高い国と言われる理由が分かりませんでした。

同時に、日本は便利ではあるが幸せを感じる人が多い国ではない?便利さは幸せに関係ないのだろうか?そんな疑問も抱くようになりました。

一人でも多くの子供に教育を受けられる環境を作ってあげたいという思いが元々あり、子供のころの環境や育んだ感情がどのように成長やその後の人生に影響するのか調べてみることにした私は、フィジーでチャイルドケア&村落体験のプログラムに参加することに決めました。

村落体験では村や家族の一員として生活を実際に体験するため、そのどこかに隠されているであろう、フィジーの人々が幸せである理由が探れる気がしたのです。

トビタテ留学生として

何度か述べましたが、私はトビタテ!留学Japanへの応募をしていたため、合格が分かってからプログラムの申し込みをすることにしていました。

さらにトビタテの応募条件に合わせるため、高校生スペシャルを3週間+通年プログラムを2週間、計35日間活動をすることにしました。

合格が分かったのが4月末ごろで、プログラムの定員や準備期間の短さなどリスクもありましたが、事前にプロジェクトアブロードにも相談をさせていただいていたため、スムーズに進めることが出来たと思います。

ただ、私も両親も初めての挑戦で不安も多かったため、五月半ばに一度横浜へお話を伺いに行きましたが、とても親切に沢山の質問を答えてくださったのを覚えています。

既に申し込みをしていましたが、とても信頼感が増し、両親も安心して送り出せたのだと思います。

決まってからは本当にあっという間でいよいよ約一か月に及ぶ、初海外の大冒険が始まりました。

何もかもが初めてで不安になるはずでしたが、出発した時の私はきっと何とかなるという根拠のない自信と、とにかく楽しみな気持ちでいっぱいでした。

香港経由でフィジーに行き、やっと村についた時は本当にほっとしたのを覚えています。

フィジーでの日々

村での生活はニワトリの元気な鳴き声とホストマザーが焼いてくれるおいしいパンの香りから始まります。

午前中はほとんど幼稚園に行くか、村のホールでデイケアをしていました。

ほとんどすべての時間、村や幼稚園の子供たちがそばにいて、子供たちのパワフルさには驚くばかりでした。本当にかわいくて、私の方が彼らから沢山の物をもらっていたような気がします。

今でもよく写真を見返しています。

午後はフットパス作りやビーチクリーニングなどなど、その時に必要な活動をします。

その中でも特に思い出深いのはフットパス。

道なき泥沼に、みんなで道を作ったのです。

村の人々がマイペースすぎて本当に終わるのか不安でしたが、みんなで完成した時はとにかく達成感がすごかったです。

なぜか感動して涙が流れそうでした。

効率や美しさを求めるのではなく、みんなで少しづつ、少しづつ楽しく作り上げたフットパスとその時間はかけがえのないものになりました。

いつかあの道をもう一度歩くことが一つの夢です。

苦労があったからこそ今の幸せがある

フィジーで過ごした約5週間はきっと書いても書いても書ききれないのでここでは詳しくは書きません。

その代わりに興味がある人は私のインスタグラム(@na_tsu44.tobi )を見てください。

私は行く前から、日記を書くことを決めていました。

もちろん、沢山の人に私の挑戦と、フィジーを知ってほしいとも思っていましたが、一番の理由は私が残しておきたかったからです。

フィジーに行くことが決まるまで私は本当に長い間悩んで苦労した時期がありました。

だからこそ、この挑戦は自分にとってとても大きな意味を持つ価値のあるものでした。

自分の思いを忘れたくなくて、いつか自分が何かに躓いたとき、フィジーで過ごした日々がきっと支えになると信じて、言葉で残すことにしました。

フィジーではもちろん苦しいことも辛いことも大変なこともありました。

だけどその何倍もの幸せをもらいました。

幸せの理由はすべてはっきりとは分かりませんが、村を出る時の私はあふれんばかりの感謝の気持ちでいっぱいでした。

ただ、日本から何千キロも離れた見知らぬ土地で、本当に大好きなもう一つの家族に出会って、大事な大事な仲間が出来たことは間違いなく私にとって大きな財産です。

私の知らない新しい世界を知ることが出来た、最高の大冒険になりました。

共に歩む人生を送りたい

フィジーでの毎日を残した日記は今、私の大きな支えになっています。

将来を考えるたびにフィジーでの日々を思い出しています。

今まで何となく思い描いていた夢が、確信に近いものに変わったような気がするのです。

現在、公衆衛生学や開発学の分野に興味があります。

世界中いろいろな土地を訪れて、沢山の人に出会って、いろんな文化に触れて、誰かの人生の中に新しい道を一緒に切り拓く。

そんな仕事がしたいと今は思っています。

とても地道で苦しい道のりになると思いますが、これからがとても楽しみだし、何よりワクワクしています。

これからも、そのワクワクを忘れないように!生きて行きます。

これから参加する高校生へ

挑戦するか迷っている皆さんへ、すべてをかけて挑んだ大冒険で見えた景色は本当に素晴らしいものでした。

不安なことがあればいつでも相談に乗ります。お手伝いさせてください。

出会ってくれたすべての皆さんに感謝しています。

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フィジーでチャイルドケア&村落生活体験 神谷菜月

この体験談は、主観に基づいて綴られています。

その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。

ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。