私は大学でモンゴル語を専攻している1年生の夏休みに「モンゴルについて好きなテーマでレポートを書く」という課題を出され、ジャーナリズム全般に興味があった私は、モンゴルにおける新聞などのメディアの役割や変遷について書くことに決めた。

そこで「モンゴル ジャーナリズム」と検索し、ヒットしたのがプロジェクトアブロードの「モンゴル・ジャーナリズムインターンシップ」だった。

レポートの資料にならないことは一目瞭然でその時は気にも留めていなかったのだが、課題を提出したあともプロジェクトアブロードの存在を忘れられず、夏の終わりに説明会へ参加した。

そこでは幸いなことに、モンゴル・ジャーナリズムインターンシップの体験者もいらしており、直接話を伺った。モンゴル語を専攻している以上、在学中に何らかの形でモンゴルを訪れると決めていたため、その候補のひとつとして大変参考になった。

結局、その次の夏は大学の短期語学研修に参加し、2週間モンゴルで過ごした。この滞在は引率者や大学の友達と行動を共にしたため、「守られた環境」に物足りなさを感じた。

そこで、半年後の春休みを利用して、自分の力でモンゴルと体当たりで向き合うために、自由さと信頼性を兼ねそろえたプロジェクトアブロードのプログラムに参加することにした。

前置きが長くなったが、以上が参加の経緯である。

モンゴルでのジャーナリズムインターンシップの活動先は、基本的には「モンゴル通信」という日本語の新聞社なのだが、担当者とのやりとりで英語力を向上させたいという意思を伝えると、英字新聞社にインターンできることになった。

ところが、ただでさえ3週間の短い活動期間であるのに、始めの1週間が「ツァガーンサル」という旧正月の祝日で会社も休みになってしまう、という事実が渡航直前に明らかになり、唖然とした。

しかし今では、モンゴルの伝統的な行事を現地のモンゴル人と一緒に祝えたことに、心底満足している。

ツァガーンサルでは、日本の正月のようにご馳走を用意して親戚を迎えて客をもてなし、新年の挨拶を交わす。

ホストファミリーの親戚宅への訪問にも同行させてもらい、ツァガーンサルを丸ごと体験した。

これは私がモンゴル語を専攻しているからこその感想かもしれないが、等身大のモンゴル文化に触れることができ、感無量であった。

そして満を持してモンゴル滞在2週間目から始まったインターンシップ。

ここでは、ジャーナリズムのいろはを学ぶというよりむしろ、ひたすら自分の能力を試された。

希望通りの英字新聞社に派遣されたはいいものの、「モンゴル人」が「英語」で記事を書く場に「日本人」の存在意義はないに等しいと気づき、途方にくれた。

英語もモンゴル語も中途半端な日本人が、ただでさえ忙しい職場を煩わせてしまうことに対し申し訳ない思いもあった。

2日目に新聞社近くで行われていた日本関連のイベントに運良く同行することができ、見様見真似で取材を行い、記事を書いた。

英語はおろか日本語でさえ記事を書いた経験がなく逃げ出したい思いだったが、そうして書き上げ校正された記事は、翌々日発行の新聞の一面(!)に掲載された。

その後は「モンゴル通信」の仕事をさせてもらったり、その記事を英字新聞向けに訳してみたりとできることをやっていったが、基本的に指示は受けないため、何をやればよいかと思案する時間が多かった。

恥ずかしい話だが、自分でトピックを見つけて取材をするなり、自分の手持無沙汰な状況を周囲に訴えるなりすべきだった、と活動最終日にして気づき、自分の至らなさを悔やんだ。

モンゴルにいることに満足して、インターンシップに対する貪欲さが欠けていたと反省している。

それでもすべてをひっくるめて、素晴らしい経験ができた、モンゴルに行ってよかった、と心の底から思う。

-28℃は想像を絶する寒さだったが、家族や親戚、職場のモンゴル人や、他のプロジェクトアブロードメンバーとは、かけがえのない温かな交流ができた。

お別れの前、ホストファミリーの娘さんに「モンゴル語も上達したね、次モンゴルに来た時もうちにおいでよ」と言われたときは、異国でのささやかな奮闘が報われた思いだった。

あっという間の3週間であったが、書き尽くせないほどの出来事を通して、自分にできること、できないこと、やるべきことを身をもって学んだ。

「ここでしかできない」はどこでもあるが、私はそれをモンゴルの、ジャーナリズムの場でできたことを誇りに思う。

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モンゴルでジャーナリズム 小作真世

この体験談は、主観に基づいて綴られています。

その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。

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