ルーマニアで古代&中世考古学 奥村健太

海外へ行こうと思ったきっかけ

毎年いっているからですかね。これまでは、先進国と呼ばれる国にばかり訪れていたので、今回は発展途上国と呼ばれる国に行くことにしました。

このプロジェクトを選択した理由

一番興味を惹かれたからです。

僕は世界史が好きで、この地方を勉強したのと、どのように歴史的発見がされるのか見てみたかったからです。

渡航前の気持ち

特に不安はありませんでした。

今回の渡航が今のパスポートで6回目でしたが、じつはこの中で家族とともに渡航したものは一つもありません。

そのうちの2回は学校行事で友達とともに、残りの3回は塾の行事で2回は団体渡航、1回は個別渡航でした。ですから1人でも勝手がわかっていたので特に不安はありませんでした。

現地での実際の活動内容

考古学というとイメージがわかなかったのですが、実際には掘っていることが多かったです。

まずはじめに調査する場所を区切り、縦横に数字をふり、次に端から順に土を掘ってゆきます。色が変わる、地層の境界まで掘ったら横に進み、地層を1枚はがすように掘ります。

掘るときに発生する土は、手作業で出土品がないか確認し、なければ横にできた山に捨てました。そのようにして、どんどん古い地層を掘ってゆきます。

出土品は、表層ではほとんどなく、二層目・三層目では多くの土器の破片、次に多く動物の骨が出土し、また人間の作った道具も少ないながら出土しました。動物の骨はほとんどが焼かれていたため人間の手の入ったものでした。道具は、黒曜石や石英からなる石刃が出土し、1つだけでしたが斧の刃も出土しました。

出土品のほとんどが区画名の書かれたカードとともに袋に入れられました。道具などの学術的に重要で希少価値の高いものは一つ一つ別々の袋に入れ、出土した場所の水準点からの高度などもかいた特別なカードとともに入られました。

活動は午前8時に寮の前集合で、そこから作業する場所まで5分ほど歩いてゆき、作業準備をしてそれから作業をしました。

終了はその日によって違いましたが、雨天ならそこで打ち切られ、それ以外ならば夕方の活動によって変わるようでした。

現地での生活の様子

寮生活でした。

寮は3人部屋で一般的なホテルのような間取りで、トイレ・シャワーもありました。ホテルとの違いはエアコンがなかったことぐらいで、部屋を涼しくするために常時窓は全開にして適温でしたが、明け方のみ冷えて目が覚めました。

食事は、朝食は各自部屋でパンなどを食べ、昼食は同じ高校生ボランティアの人とともに現場近くのレストランで、夕食は街の中心部のレストランで同じメンバーでたべることが多かったです。

僕は好き嫌いがないので、食事を楽しむことができました。

洗濯は寮の地下に洗濯機の並んだ部屋があり、そこで行うことができました。

ルームメイトは男2人で、部屋内ではあまり話をせずに各自すごしていました。しかし、レストランなどではよく話しました。

一番印象に残っている出来事

プロジェクトが始まって3日目くらいにおこなったバーベキューが一番印象に残っています。

その日は、午前で作業をやめ、そのままスーパーマーケットに買い物に行きました。そして食材と各自飲み物を買い、昼食後に寮の前に再集合することになりました。

再集合するとすぐに駅に向かい、列車に乗りました。そして、降りたところは何もない田舎でした。少し上の方でバーベキューすると言われたので、少し歩くのかと思いました。

しかし、どんどん歩いてゆき、ついに山を登って行くではありませんか!山の八合目くらいまで登るとそこでバーベキューをすることになりました。しかし、小屋も椅子も炭もありません!

どうするのかと見ていると薪を集め始めました。そして、火を起こしはじめました。イメージ的にはキャンプで火を起こす感じです。食事は焼いた肉をパンにはさんだもので、美味しくいただきました。

食事後、山頂に行こうと言われたので、行きたい人のみ山頂に行きました。山頂近くは石灰質の崖でした。山頂は、昔軍事的要所だったらしく、十字架と大きな鐘がありました。見晴らしは抜群だったので、見張りには最適だったと思います。

その後、バーベキューの片付けをしたあと、同じ経路で帰りました。

寮に戻り、万歩計をみると、4万歩ほど歩いていました!小学生の頃の、高尾山(東京都)の遠足ですら2万歩だったのでとても驚きました。多分山地を歩いた中では、自己最高記録だと思います。

ですから、最も印象に残っています。

大変だったこと、苦労した点

2つあります。

一つ目は、普段から英語をつかうわけではないので、やはり英語で少し苦労しました。

始めの3日ほど耳は慣れない上、自分以外皆流暢で焦りました。4日目くらいからはある程度慣れてきたので、出身や普段の生活などを尋ねたりすると、英語が流暢なわけがわかりました。皆、普段から英語を使う生活をしているからでした。

二つ目は、とても焦ったことですが、帰りの飛行機が遅れて、乗り換えに間に合わないのではないかと思ったことです。

日本行きの便の搭乗時刻をすぎてルーマニア発の便が到着したからです。飛行機を降りるとすぐにタミーナルへ行き、日本行きの便の搭乗口に走りました。10分ほどして搭乗が始まり間に合ってよかったと心をなでおろしました。

学んだこと・成長した点

英語の必要性と第二外国語の必要性を感じました。

英語は流暢に話せるようにならなければならないしと決意しました。

第二外国語を必要と感じたのは、僕以外の高校生ボランティア4名のうち3名はフランス語も話せ、母国語も話せる人もいたからです。つまり3カ国語を話せるということです。同年代にこういう人がいる以上負けるわけにはいきません。

大和魂と努力を以ってすれば、ほとんどのことは可能です。よって、学習への意欲が高まりました。

全体の感想

日本人のほとんどいない海外生活を過ごすことができ、また重大な事故も起こらず、帰ってくることができよかったと思います。

”日本人のほとんどいない”の”ほとんど”とはルーマニアで日本人に会ったということです。

高校生ボランティアの我々がルーマニアに到着した日とルーマニアを出発する日に泊まったペンションのオーナーが日本人の男性でした。

オーナーによると、彼のペンションとProjects Abroad Romaniaのあるブラショウという都市には日本人が5、6人しかいないそうです。ですから、とても運がよかったと思いました。

オーナーとは僕が持って行った柿の種をつまみながら色々と話しました。海外で生活する日本人は、日本にいる日本人とはまた違った考え方を持っているので、出会えてよかったと思いました。

また、一緒に作業した仲間ともSNS上で繋がり、新たな出会いが出来たので、参加してよかったと思いました。

これから参加する人へのメッセージ

迷っているのであれば是非参加したほうが良いと思います。

この決断が人生を変えるかもしれません。しかし、自分の意思でなければ行く意味はあまりないかもしれません。

あと、柿の種は持っていたほうがいいと思います。海外の人でも美味しいと感じるようですから、コミュニケーションを円滑にする上でとてもよいアイテムです。

また、この期間だけでも日記を書いたほうがよいです。帰国後に見返す時に便利です。

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この体験談は、主観に基づいて綴られています。

その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。

ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。