発展途上国の医療現場へ

このプログラムに参加しようと思ったのは、私の将来の夢に関係していることだからです。

私は⼩さな頃から医療関係の仕事につきたいと思っていました。

そしてまた、国際的な仕事にも興味がありました。

その時に、英語のプレゼンテーション番組のTED で、アフリカの医師の⽅がお話しているのを聞き、医療アクセスが不充分であるために病気を治したり予防したりできないということに、とてもショックを受けました。

そのため医療環境の整っている先進国ではなく、⽐較的途上国のガーナに医療ボランティアに⾏くことにしました。

医療のボランティアに⾏くということで申し込みましたが、それ以前にガーナは⽇本ととても⽣活環境が違うため、現地の⽣活に馴染めるかどうかが少し不安でした。

しかし、今の⾃分の⽣活とは全く違うガーナで過ごすのは新しい発⾒がきっとあると思い、とてもワクワクしていました。

医療ボランティアとして

活動は主に三つに分かれており、市⺠の簡単な⾝体検査をするアウトリーチ、ケープコーストの病院を⾒学・⼿伝いするCRH、そしてハンセン病キャンプで病気は持っていないものの、⽪膚に後遺症が残っている⼈々の⼿当てをしました。       

アウトリーチでは、体温、⾎圧、BMIの測定と、⾎液検査による⾎液型の診断、⾎糖値の測定、また B 型肝炎、マラリア、HIV の検査を⾏いました。

CRHでは⾃分の好きな科を選ぶことができ、私は救急外来と新⽣児の科に⾏きました。

緊急の病気の⼈々、⽣まれたてのガーナの⾚ちゃんを間近で⾒ました。

ハンセン病キャンプでは、⼦供から⾼齢者まで⼿⾜の⽪がむけてしまっている⼈の傷⼝の消毒をし、包帯の巻きなおしをしました。

大所帯のガーナ生活

滞在していた家庭は、何年か前からプロジェクトアブロードの学⽣を受け⼊れており、とても慣れた感じでした。

家は⼆階建てで、私達⾼校⽣六⼈は⼀階の三部屋を使い、ホストファミリーは⼆階に住んでいました。

⼀階と⼆階は外の階段で繋がっていました。

⾷事のときは⼆階に上がり、広いベランダでボランティアメンバーみんなで⾷べていました。

朝は毎⽇トーストとフルーツで、パイナップルが特に美味しかったです。

昼、夜は塩焼きそば、パンケーキ、⾟く煮込んだチキン、タイ⽶、フライドポテトが多かったです。     

洗濯は毎⽇朝に⼿洗いし、外に⼲していました。   

ホストファミリーはよく分からないですが⽗親がおらず、ホストマザーは毎⽇働いていて朝と夜に少し会う程度でした。

お⼿伝いの⼈を雇っており、⼀階のトイレなどの掃除や、平⽇の⾷事はそのお⼿伝いの⼈がして下さっ ていました。

ホストブラザーは、もう⼤⼈で働いていました。

ホストシスターは、平⽇は毎⽇学校に⾏っており、休⽇と平⽇の夜しか会えませんでしたが、たくさんおしゃべりすることができ楽しかったです。

ホストファミリーは皆とてもフレンドリーで、毎⽇明るかったです。     

他のボランティアメンバー五⼈は、カナダ、アメリカ、オランダからで、英語を流暢に話せるので不安でした。

しかし皆とても優しく明るく、聞き取れなかったところは何度でも教えてくれました。

段々と打ち解けていって、⾷事が終わった後やバスの中、⼣⽅⾷事前などにみんなでよく話すようになり、楽しかったです。 

感情が最も揺れ動いた経験

⼆週間過ごして、ボランティア活動についても、普段の⽣活についても、驚いたことや嬉しかったこと、悲しかったことなど、⼼が動かされたことはたくさんありました。

その中で、とてもショックでもあり少し嬉しかったこととして、ハンセン病患者の⼿当てが⼀番印象に残っています。

私達は、まず⼿当てをする場所まで歩いて来られる⼈の⼿当てをしてから、⾃⼒で来られない⼈の家を訪問し⼿当てをします。

その中で、ある男性の家に⼊る前に来たときに、アドバイザーが「この男性はかなり⼤きな傷を持っている」と説明した時がありました。

私は⾃分がやろうと思い、男性の包帯を剥がし始めましたが、包帯は何重にも巻かれており、段々と⾃分の顔が熱くなっているのを感じました。

全部剥がし終わって傷を⾒たとき、その傷はとても深く、私はその後続けることが出来ませんでした。

そしてその後しばらくは何も出来ず、途中でやめたことを後悔しつつ、もう忘れたいと思ってしまっていました。     

しかし、ある程度⽇が経ち、次の、そして最後のハンセン病キャンプの⼿当ての⽇には少し気持ちの整理がつき、今⽇⾃分が⼀番多くの⼈の⼿当てをしようと意気込んでいました。

そして、その⽇だけ訪問した別のハンセン患者の施設に⾏ったとき、同じように深い傷を持っている男性や⼥性の⼿当てを⾃分からやると⾔って始めることができ、患者さんに「ありがとう」と⾔われたとき、本当にやってよかったと思いました。

世界の医者や看護師からすれば、傷⼝の消毒、包帯を巻く程度のことは治療とは程遠いだろうとは分かっていますが、私にとっては忘れられない経験です。

英語という共通語

ボランティア活動中でも、それ以外でも苦労したことは、ガーナ⼈の話す英語を聞き取ることに苦労しました。

現地の⾔葉があるということは、事前に知っていました。

普段はその現地の⾔葉で話す⼈々の英語はやはりなまっており、聞き取るのが難しかったです。

何度も聞き直したり、他のボランティアメンバーに聞いたりしていました。 

現場で求められている医療とは

医療関係の仕事につきたいと考えて参加したことを振り返って考えると、その為には、ただ医療の知識があるだけでは全く不⼗分であることを実感しました。

⼈々の⽣活状況や考え⽅を知ってこそ、適切な医療を提供できるのだと学びました。  

プログラムに参加する前、私はガーナの⼈々のために何ができるかを考えたとき、ガーナは衛⽣状態がとても悪いから、とにかくきれいにしてあげよう、⾷べ物も栄養バランスをチェックしよう、先進国と同じような環境を作ってあげたい、などと考えていました。

しかし、実際に⾏ってみると、彼らは⾃分達の⼟地、環境に合わせて⽣活をしているということを強く感じました。

確かに、⼿を洗わずに⼿でご飯を⾷べますし、⻭磨きをしません。

トイレも汚かったです。

⾷事も炭⽔化物ばかりでした。

それらは良いことではないですが、だからといってそれに嫌悪感を⽰したり、今の⽇本のような医療環境を焦って押しつけることは絶対にしてはいけないと、ボランティア活動やガーナ⼈と⼀緒に⽣活をして感じました。

裸⾜でよちよち歩きしているガーナの⾚ちゃんや、でこぼこの公園で⾛り回っている男の⼦たち、本当に楽しそうにお喋りをしているお⺟さん達を⾒ると、決して不健康には⾒えず、とても⽣き⽣きとしていました。

彼らに対して急に除菌シートや理想の⾷事を⾒せても、興味を⽰さないだろうと思います。

彼らが満⾜できるような医療は、そこで⽣活している彼らと⼀緒に考えることが⼤切だと改めて思いました。

将来は国際的な舞台へ

私はこの経験で、やはり国際的な仕事につきたいと感じました。

海外は知らないことが沢⼭あり、とても刺激的です。

⾃分が海外の⼈々にとって⼀緒に仕事をしたいと思ってもらえるように、これからもっと⾃分のしたいこと、興味を持っていることを確⽴していきたいと思います。

また、ガーナのボランティアアドバイザーとも連絡を取り合っていきたいです。

これから参加する高校生へ

このボランティアでは、うまくいかなかったり、周りに不満を持ったりしたことももちろんありました。

参加する上で、ガーナは⽇本と違うことが沢⼭あるということを、今⼀度考えるべきだと思いました。

その⼼づもりがしっかりしていないと、現地についてからそれらを受け⼊れられなくなってしまうと思います。

そして最後に、これは私がボランティアに⾏く前に⾔われたアドバイスでもあり、私も⼀番⼤切だなと思うことは、結局は楽しんだ者勝ちということです。

今後参加する人にとっても、成功しても、失敗しても、「⾃分はこれをした」と振り返ることができるようなプログラムになることを願います。

しかし、うまくいかなかった部分も含めて、この経験は間違いなく私を成⻑させてくれました。

そして、⽗、⺟にこのプログラムに参加させてくれて本当にありがとうと⾔いたいです。

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この体験談は、主観に基づいて綴られています。

その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。

ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。