臨床工学技士として海外ボランティアへ
私はもともと海外の医療現場や災害医療に関心を抱いていたため、勤務先の長期休みを利用して初めての海外医療ボランティアへ参加しようと計画を立てました。
色々なボランティア組織がありますが、どれも医師や看護師向けで私のような臨床工学技士(コメディカル)を医療者として扱ってくれるボランティア組織はありませんでした。
そのようななかで、プロジェクトアブロードを知りました。
コメディカルの私でも医療者として参加可能そうな公衆衛生プログラムを見つけました。
プロジェクトアブロードに決めた点は多々ありますが、特に魅力を感じた点は、やはりコメディカルも医療者として医療ボランティアに参加可能だったところです。
ほかにも、私のような休みの不規則な社会人が自分の都合に合わせてボランティア期間を選択することができたこと、正式な申し込み前にも関わらずLINEで疑問点を気軽に相談できたことからサポートが充実していると感じプロジェクトアブロードに決めました。
学生の頃から人生の目標にしていた「日本での医療知識を持ちつつ、発展途上国の医療現場で働きたい」という夢からボランティア活動国はフィリピンの公衆衛生プログラムを選びました。
オドロキの環境
活動場所はセブ島ボゴ市という田舎町で、牛や羊が沢山いて朝は鶏の声で起きるというとても自然豊かなところでした。
配属先の病院はとても貧困で冷房も限られた場所にしかなく、院内なのにスクラブが汗で色が変わるほど大変蒸し暑かったです。
病院敷地内には日本では見たことのない虫や野犬も沢山いました。
故障中の医療機器も多く、一部の床もひび割れていたりエレベーターも稼働していないのが普通で、病院としての施設の管理体制に不安を覚えました。
病院ではもちろん英語のみでスタッフや患者さんと会話します。
単独で初めての医療留学は不安でしたが、親日国でありどの病院スタッフと患者さんも優しく接してくれました。
産婦人科での活動
活動内容としては、主に産婦人科での活動でした。
妊婦エコーで胎児心音の確認やお産のお手伝い、出生直後の新生児のバイタルチェックとワクチン注射、他多くの医療行為をさせて頂きました。
初日に人生で初めて分娩の立会いをしました。
海外で母国語しか話せない見ず知らずの女性のお産を手伝えたことは生涯忘れることはないと思います。
無事に生まれたときはまるで身内のように感動して泣きそうになりました。
救命救急病棟での活動
お産が落ち着いている時は ECU(6床)で働きます。
ECUでは重症患者の心電図測定やECU外にまで溢れている待機外来患者のバイタルチェック ECUへの各位症状確認などを行いました。
お国柄のせいか交通事故外傷がとても多く、交通事故のせいで頭部変形した患者などどの患者も非常に重症で印象に残っています。
日本では助けられる命が、ここではいとも簡単に亡くなってしまうという現状を見ました。
子供の入院も多く、日本では流行っていないデング熱が圧倒的に多かったです。
カルチャーショックを受けた
その他の活動としては、母子同室病棟での怒涛の64名のバイタルチェックを限られた時間内に終わらせ、手術室では帝王切開や卵管結索術の見学をしました。
手術は1日に最大3件ほどで、どれも短時間の手術でした。
医師が平然と執刀時刻に遅刻するのも日本の医療と違うと感じました。
ICU(3床)やNICU(8床)は主に患者の見学のみでした。
NICUにはそれぞれ型の異なる新生児ベッドが乱雑に置かれており、8人の母親がいました。
なかには16歳の母が居て、彼女は恐くてまだ自分の子供を抱っこしたことないと言っていたのが印象的でした。
日本では、カンガルーケアといって母親に新生児を抱っこさせ不安感を早期に取り除くケアがありますが、フィリピンでは個人のペースに合わせているのだ
なと思いました。
多くのカルチャーショックを受けましたが、なかでも医療や衛生面では、清潔手袋や医療用エプロンを汚れるまで交換しないことや、手指消毒剤が当たり前に「ない」こと。
そのため持参した手指消毒剤で、自分や患者の身を感染から守るために個人的に手技の前後で手指消毒を徹底していました。
また日本では医師が患者へ挿管しますが、フィリピンでは看護師が挿管すること。
また挿管後は患者家族がその場で看護師よりレクチャーを受け人工換気の管理すること。
病棟では、新生児に成人用の医療器材を適応外使用していたり、故障した医療器械は点検・修理もされずに部屋の隅に放置されていることが印象に残っています。
分娩室でも、日本のようなプライバシーへの配慮がなく横の妊婦との仕切りのない分娩台で死産の真横では出産が始まったり(その後、母親たち同室)
ECUでもベッド間の距離が近く、病状詳細を隣の人が知っていたりとプライバシーのなさに大変驚きました。
生活面でも水しか出ないシャワーやすぐ詰まるトイレ、なかなか補充されないトイレットペーパーなど、日本では見たことない虫・野犬たちと格闘しながらかき込んだ昼食、ルームメイトと夜中まで折り紙をしたことや他のコースのボランティアたちとの交流会など日本では決して出会うことのない沢山の人たちと出会うことができ、この医療留学を通してかけがえのない経験をすることができました。
あの経験がるから今がある
私はプロジェクトアブロードに出逢えたおかげで夢の第1歩を切り開くことができ、ここで得た経験は私の一生の財産になりました。
帰国後は、コメディカルで海外に興味があるけども医療者として挑戦できないと思っているコメディカルへの口演を考えています。
これから参加する方へ
ぜひ参加に迷われている方がいましたらLINEで気軽に相談できますので、まずは前向きに検討して頂きたいと思います。
勇気を出して一歩踏み出した人にしか見えない世界を、ぜひ味わってほしいと思っています。
今回の医療留学を通して関わってくださった方々に感謝を伝えたいです。
※現在、公衆衛生プログラムは医療プログラムに統合されています。

この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。