二つの希望を叶えられる

私は、小さい頃に家族でオーストラリアに一年間住んでいた経験があり、海外にとても興味があった。

私は、その後、5か国ほど海外旅行やホームステイに行ったことがあるが、すべて友達や家族と一緒だった。

旅行やホームステイで観光名所に行き、景色を見たり、写真を撮ったりすることも、もちろん楽しいが、一人で海外に行き、更には、現地の人々と深く関わりたいと思うようになった。

そこで出会ったのが、プロジェクトアブロードだった。

プロジェクトアブロードは、世界各国からボランティアを受け入れている団体で、主に発展途上国でその活動を行っている。

この活動に参加することで、私の二つの希望である、一人で海外を経験すること、及び、現地の人々との深く関わることを同時に叶えられると思った。

きっかけは、姉

私は、タンザニアのチャイルドケアプログラムに、申し込むことにした。

理由は、姉の影響である。実は、姉は5年前に同じプログラムに参加していた。未知の領域であるアフリカで、ボランティア活動をするなんて、相当な覚悟が必要だと思う方が多いだろう。

しかし、私の場合、姉にほとんどのことは聞くことができたので、そこまでハードルは高くなかった。

他にも違った種類のプログラムがあったが、子供が好きということと、姉から多くの情報を得られる安心感もあって、同じプログラムに参加することにした。

マサイスクールでの活動

朝は8時に家を出て、10時頃出勤する。

現地の人々は皆、pole pole(ゆっくりゆっくり)精神なので、このような時刻はしっかり決められていない。

10時には、生徒全員がマサイスクールに集まってくる。

みんな集まったころで朝礼を行う。

朝礼では、大きな声で歌を歌う。

元気なかわいい歌声に、毎朝パワーをもらっていた。

それから1.5時間の授業を二回行う。

スワヒリ語が主な言語である子供達に、英語を教える。

授業では、現地校の先生の補佐である。

授業を終えたらランチタイムになる。

私達は、子供達に手を洗わせたり、配膳をしたりする。

子供達が食事をとっている間、私達ボランティアも昼食をとる。

ランチタイムのあとは、全校生徒で集まって歌を歌う。

そして、14時ごろ解散になる。

一日の流れはこのような感じだ。

タンザニアの子供たちとの絆

子供達はみなフレンドリーで、私達のことを「Teacher! Teacher!」と言って集まってきてくれる。

一人になる時間が一瞬もなかった。

はじめは同じに見えた子供達も、毎日遊んだり授業をしたりして、名前と性格がわかってくることによって、もっともっと愛着がわいた。

活動の最終日は、子供達は別れを惜しんで泣いてくれた。

泣きながら、お別れの歌も歌ってくれた。

私は子供達からの愛をたくさんもらって幸せだった。

とても貴重な経験をさせてもらった。

想像以上に快適だった現地生活

人々はとてもフレンドリーで、私達外国人を見ると、たくさん話しかけてくる。

もちろん、純粋に話しかけてくる人々が大多数なのだが、商売やナンパ目的で話しかけてくる人も、少なくはなかった。

特に日本人は、その標的にされやすいようだ。

でも、そんなときは、しっかり断ることさえできれば、それ以降何もしてこなかった。

だから、一人で街中を歩くことは、注意も必要だが、様々な出会いがあるので、私はとても楽しむことができた。

また、食事はとても美味しかった。

特にフルーツは格別で、どれも安く新鮮なものばかりだった。

お米は、日本と同じようなもち米で食べやすかった。

レストランやカフェでの料理も、おいしいものばかりだった。

私は海外へ行くと、いつも日本食が恋しくなってしまう方だったが、タンザニアでの二週間はそう思うことが全くなかった。

ホームステイ先は設備が整っていて、特に不便に感じることもなく、安全で清潔だった。

私にとって、タンザニアは想像より遥かに楽しく過ごしやすい場所だった。

マサイ族の女性から学んだこと

文化も土地も生活も日本とはまるで違うタンザニアの地で、私が吸収できたことはたくさんある。

特に印象に残っているのは、マサイ族の村に訪れた時のことである。

私達ボランティアは、ある放課後に、生徒の一人であるマサイ族の女の子の家を訪れた。

彼女は毎日、片道2~3時間かけて歩いて学校に来ている。

その事実だけでも信じられないが、私は彼女の住んでいるところを見て、カルチャーショックを受けた。

彼女が住む家は、泥でできていて、狭く、辺りは干上がった更地だった。

マサイ族は、一夫多妻制で、お母さん一人につき10人ほど子供を産む。

お父さんはいろんな家を転々とするので、基本、女手一つでたくさんの子供達を育てる。

彼らは、毎日何時間もロバとともに歩いて、水を汲みに行く。

一方、私達日本人は、家に帰ればいつでも家族に会えて、水が欲しければいつでも手に入る。

私達にとっての日常を、彼女は日々苦労して手に入れていた。

私はその状況を目の当たりにして愕然としてしまい、彼女が毎日こんな生活を送っていたと思うと、苦しくなってしまった。

しかし、彼女はいつも笑顔で毎日学校に来てたくさん遊んだり歌ったり、とても幸せそうに見えた。

ここで私が学んだことは二つある。

一つは、私達の毎日の生活は当たり前ではないことである。

生きていくために不可欠なものの多くが私の周りそろっていて、「生きるために何をするか」など、日ごろ考えることはない。

それよりも「余暇をどう過ごすか」や「将来何を頑張るか」などを普段は考えている。

しかし、彼女は、日々の生活のために生きていた。

私が普段悩んでいることは、安定した生活があってこそのことだと認識できた。

そして二つ目は、「便利な生活=幸せ」では、必ずしもないということである。

貧しい暮らしぶりを見て、一度はかわいそうだと思ってしまったが、彼女の笑顔見てきて、そうではないことを学んだ。

タンザニアに来てたくさんのことを学んだが、この2つの新たな認識が、私を大きく変えてくれた。

これからの人生で困難に出会う場面も少なくないと思われるが、今回の経験を糧に乗り越えていこうと思う。

そして、マサイ族の彼女のように、自分だけでなく周りも元気にさせるくらいの笑顔を忘れずに生きていきたいと思う。

彼女や他の生徒が、これからも元気で楽しい人生を送れることを、心から祈っている。

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タンザニアでチャイルドケア 鹿島沙也花

この体験談は、主観に基づいて綴られています。

その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。

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