私は子供の頃から、いつか海外で生物に携わる仕事をしてみたいと思っていました。

2016年に「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」という官民協働留学支援制度の存在の事を知ったとき、その夢は現実になるかもしれないと分かりました。早速応募をしようと思い、そこでProjects Abroadにはじめて出会いました。

活動国はプログラムの内容が自分にとって魅力的なメキシコにしました。

高校生プログラムは7月にありましたが、吹奏楽部のコンクールと日が近いので断念しました。私はその瞬間、一般プログラムでの挑戦を決意しました。つまり、周りは必ずしも高校生ではないということです。それに日本人は私しかいないということです。だからこそ今回の旅は私にとってとても新鮮なものになりました。

2017年1月、私は学校の研修でベトナム・ホーチミン市に行きました。初めての海外でした。その時点ではまだメキシコに行くことは決まっていませんでした。他にも同学年の友達は数名いましたが、ホームステイは私1人でした。ですがその2泊3日のホームステイで初めて、一度も日本人と話さない時間が生まれました。

私はその体験を通じて、外国人と意思疎通するのは自分が思っているよりも簡単なのではないかと思い始めました。出国審査やパスポートの提示、外貨を使うなど初めての事はたくさんありましたが、学校の友達や先生がいるので、まるで修学旅行の延長線上の様な感覚でした。

それで満足している自分がいる反面、もっと自由に、枠にはまらない生活がしたいと願う自分も確かに居ました。それも、誰かの役に立ちながら。

それを全て実現してくれた Projects Abroad にはとても感謝します。

17歳の夏、私はようやくメキシコへ飛びました。

8月20日から9月4日の約2週間の留学の始まりでした。

成田からメキシコはなんと13時間の旅でした。その長い長い旅を終えてメキシコの大地に降り立った時、空が、大気が、違うことを一瞬で理解して鳥肌が立ちました。

ベトナムも熱帯でしたがメキシコも暑いです。

一番の違いは14時間の時差です。親や友達に電話しようとしても、真夜中だから通じません。世界の裏側にいるのを実感しました。

そして空港で困っていた私が他のお客さんに質問すると、すべての皆さんが快く教えてくれました。ひょっとしたらメキシコ人は日本人よりも心が広いのかもしれません。

グアダラハラについた時も同じで、緑の服を着たスタッフの姿を見たときは思わず顔がほころびました。

初日はホームステイで、欧米ならではの、靴をベッド以外履くことなど若干の違いはありましたが。環境はベトナムの時と同じで特に問題ありませんでした。

大きく変わったのは二日目以降で、その日からバスで活動場所へ行きました。ボランティアスタッフの車でのんびりグアダラハラへ向かうのかと思っていましたが、予想に反して一人でバスに乗ることとなりました。手続きは全てボランティアスタッフのエドゥアルドさんが済ませてくれたので、後は乗るだけでした。

バスに乗っている間も、スペイン語の歌のラジオがずっとかかっていました。しばらくすると降りる場所が不安になったので、何回か近くの人に聞きました。

突然、バスが止まりました。マリアッチが乗ってきたのです。バスの中で歌い、演奏し、最終的には周りからチップをもらっていました。驚いたのは、これが決して観光客に見せている伝統芸能ではないこと。自分がメキシコにいるのを強く感じた瞬間でした。

バスから降りると、そこには長身の男性がいました。Projects Abroad の服を着ていたので、私はすぐに彼がこれから2週間お世話になるスタッフのPABROだとわかりました。バンに乗ると、ものの5分足らずで目的地に到着しました。あまりの速さに少し拍子抜けしました。

始めはあまり人がいないと思いましたが、揺れるハンモックの中にこれからともに生活する仲間たちが眠っていました。

私の部屋は白い小屋の中でした。個室のドアがなく若干開放的でしたが、逆に涼しく過ごせました。

夜になると街灯がほとんどないため、あたりは暗闇に包まれます。ただ日本と比べて日が暮れるのは遅く、熱帯にいるのを実感しました。

私の初めての仕事は、なんと夜3時から始まりました。誰もいない夜の海岸にボランティアスタッフと二人きり。赤いバギーカーに乗り、猛スピードで砂浜を進みながら野生の海ガメの卵を集めました。無論産卵シーズンでしたので、至極簡単に卵の巣を見つけられました。

一つの巣に対して一つのビニール袋を使いました。何故なら、一つのカメの巣をそっくりそのまま安全な場所に移し替えるからです。

そもそもなぜわざわざ自然のカメの卵を集めるかというと、放置した時に海鳥やアカハナグマに喰われたり、ハンターに盗られたりする可能性があるからです。

問題はそのヒメウミガメが絶滅危惧種に指定されていることです。生まれる前から危険に晒されている不遇のウミガメを救うことが我々の使命です。正直私は、昔からこういう仕事にあこがれていました。

日中の仕事は、主にカメを保護する施設の中で行いました。大人になったカメが泳ぐ水槽に入って、カメの体を洗いました。またここにはワニとイグアナも飼育されています。私はイグアナの世話もしました。

そして何といっても一番の思い出は、本当に小さな生まれたばかりの子ガメを海に還すことでした。私は仲間たちと一緒に最後まで見送りました。その時私は地球に貢献していることに打ち震えて、自然と笑みがこぼれました。その笑顔はカメの旅立ちを祝福するとともに、こんなステージまで進むことができた自分に対してでした。私の夢は半分叶ったも同然でした。

また絵を描くのが、私の趣味でした。その趣味を生かして、北海道の動物の絵をスケッチブックに書きました。言葉はうまく伝えられなくても、絵だったら相手に伝わるという私のアイディアでした。動物の絵もそうですが、即興で描いた似顔絵も反響が良かったです。いつも絵を描いていたことが、こんなところで役に立つとは思いませんでした。

土日には海に遊びに行きました。息抜きのために行きましたが、全力ではしゃぎすぎてしまい、結局疲れてしまうというミスをしました。

また私が日本で通っている学校にいるメキシコ出身の先生のお姉さんが、ご夫婦で活動場所までわざわざ会いに来てくれました。そして私は今までの活動や、札幌のことなどを話しました。話しながら自分の出来事を振り返りました。2週間の留学の折り返しにはぴったりの出来事でした。晴れているので心も晴れ晴れしました。

その後、台風がメキシコに上陸しました。休日とは打って変わった天気の荒れ具合に、私はつらくなりました。夜の卵探しも雨で全身がずぶ濡れになりました。当然ストーブもないので、風邪を引くのではないかと思いました。事実、こんなに大変とは思っていませんでした。

そんな思いがこみ上げた瞬間、私は仲間のボランティアたちの姿に気づきました。雨に打たれ、風に吹かれながらも、海岸を歩み続けるその後ろ姿を見た時、私は自分のちっぽけさを気づかされました。

人生の中で2週間という時間はほんのわずかです。少しダウンしても、勿体ない気がしました。休むなら日本に帰ってからしよう。そんな荒っぽい考えを引っ提げて、大海原への道を再び歩き始めました。

この旅を通して、忘れたくないこと。それは私だけの力でこの旅を成功させたわけではないということです。

メキシコで出会ったたくさんの人たち、応援してくれた日本の人たち、そして何より、「Projects Abroad」があったからできたことです。

プログラム詳細へ

体験談一覧へ

メキシコでウミガメ保護 竹村風力

この体験談は、主観に基づいて綴られています。

その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。

ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。