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小堀 港大 - ボリビアジャーナリズムプロジェクト
生まれたときから恵まれていた私、お金に困ったことがない私は南アメリカで最も貧しいと言われるボリビアに旅をしました。
飛行機のトラブルがあって目的地、ボリビアのコチャバンバへの到着が1日遅れました。でもそんなのはボリビアの人たちにとっては当たり前のハプニング。何もなかったように私のプロジェクトが始まりました。
ホームステイに会った後、そこから仕事をするオフィスへのバスでの通い方を教わりました。バス停はなく、バスが通先の家族る道路の横に立って手を挙げて止まってもらいます。降りたい時は「降ります!」と大きな声で叫ばないと絶対に止まってくれません。そんな風変わりな説明のあと、仕事の説明を受けました。ジャーナリズムなど全く経験のない私でしたが、それが旅の目的でした。新しい経験をするための旅でした。
仕事は、”Cocha-banner”と言う雑誌のためにコチャバンバの情報や興味深いことを自分で調べて記事を書き上げることです。厳しい仕事のルールはなく、アイデアがあったら許可を取ってそこからはすべて自由にできました。ボランティア達はそれぞれ興味があるものが違いますから毎月出版されるマガジンの中には色々なジャンルがあって、それが”Cocha-banner”の売りです。

私はサッカーに興味があるので、コチャバンバのサッカーチーム”Aurora”のことを書くことにしました。幸いにもオフィスのFreddyがAuroraのプレイイングマネージャーと友達だと言うことがわかりました。そして電話一本約束を取り、私は人生初めてのインタビューをすることになりました。そのプレイイングマネージャーの名前はJulio Cesar Baldivieso(フリオ・セザール・バルディビエソ)、横浜Fマリノスでプレイしたこともあり、ワールドカップにも出場したボリビアの偉大な選手です。緊張しながらもカメラと録音機を持ってインタビューに出かけて行きました。たどたどしいスペイン語しかしゃべれない私に頼りになるコチャバンバの大学で英語ができる生徒が通訳として来てくれました。インタビューは非常に難しかったです。初めてだったこともあり、その上シーズンの始まる前でストレス気味のバルディビエソ選手。でも優しくしてくれてインタビューは結果オーライでした。インタビューはどんなに準備しても一回やってみないと絶対にわからないものです。

オフィスの中では記事を書きあげたり、その記事を雑誌に掲載するためのデザインをしました。通常のオフィスでの仕事時間は午前中だけですが、インタビューはそうとは限りません。午後のインタビューもありました。オフィスの仕事でありながらも、私達ジャーナリスト達がインタビューしに飛び立つ姿を見るのは日常でした。コチャバンバの有名なお祭りのために熱心に踊りの練習をしている生徒達にもインタビューしました。こうやってボリビアの文化のことも知ることができました。
そして最後には”Los Kjarkas”(ロス・カルカス)と言うバンドの日本人チャランゴ奏者、宍戸誠さんをインタビューすることができました。ロス・カルカスは南アメリカで知らない人はいないぐらい有名なバンドです。でもその頃には取材慣れをしていて、その上スペイン語ではなく日本語でインタビューができたこともあり、すごくスムースに進めました。インタビューが終わった後、ロス・カルカスのメンバー全員と会うことができて光栄でした。
仕事をしていない時は他のボランティア達と時を過ごしました。映画を見に行ったり、ボーリングをしたり、また週末には当然のように旅に出かけました。例えば一回ラパスで「世界で最も危険な道路」をマウンテンバイク下りました。
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楽しいことが一杯でしたけど、現実から目をそらすことはできません。日々幼い子供達からお金をねだられ、道路の横に命以外何も失うものがない人たちを見てきました。これも経験の一つです。自分がどれだけ恵まれているかを知る時です。
プロジェクトが終わりになる頃は寂しかったです。そこの家族にはすごくお世話になりました。肉料理が大好きな私に特別に料理を作ってくれたり、おみやげもくれました。スペイン語しかしゃべれない家族でしたが最後には私のスペイン語も上達しました。あとは他のボランティア達とのさよなら。心の芯から暖かくて冒険心溢れている人達でした。短い間でしたけど、一生の友達が増えました。
新しい経験をしたい人達にお勧めします。
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